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ガラスのある生活レポート

ガラスのある生活レポートでは、ガレ、ドーム兄弟などのガラスアートを紹介しています。

エミール・ガレ

ガレ

アールヌーボー期のガラス工芸作家として、最も有名なのが、エミール・ガレです。

 

ガレの芸術はジャポニスムや象徴主義、自然主義、博物学の成果など、時代の趨勢と深く関わりながら展開し、独自の表現論理に幻想的なイメージを絡み合わせた特異な表現世界を確立しました。普仏戦争敗北やドレフュス事件など、当時の世論を沸かせた社会問題にも積極的に関わり、その発言を工芸の造形において表現したり、問題提起する場合も少なくありませんでした。

 

同時に、ガレは少数限定の最高級品から大量生産による廉価品まで、加工技術の相違によるコストダウンを実現し膨大な数量の作品を量産、その全てにガレの名を冠して芸術の普及に力を尽くしました。

 

【プロフィール】

1846年5月4日、フランスの東部ナンシーで生まれる。
父シャルル・ガレはオリジナルブランドのガラス器。陶器の発行者兼卸売り業者です。
エミールガレは若いころから、文学・哲学・植物額を学び、1878年から父親の会社の経営を引き継ぎ、ガラス器・陶器の製造販売を手がける。
1878年、パリ万国博覧会に参加、陶器とガラス部門で銅メダルを受賞する。
1886年、家具製造部門を創設する。
1889年、パリ万国博覧会ではガラス部門でグランプリ、陶器部門で金賞、家具部門で銀賞を受賞し、エミール・ガレの名声を決定的なものとした。
1894年、エミールガレはナンシーに本格的なガラスの窯を設置、自社内での一貫生産が始める。
1900年、パリ万国博覧会に多数のガレ製品を出品し絶賛を浴びる。
ガレ・クリスタルの社長として、又アール・ヌーボー・ナンシー派の指導者として活躍し、芸術と産業の融合を理想にかかげ、手作りの良さを残した優美なガラス器の製造を工業化し、300人の職人が工場で分業生産を実施する。
1904年9月23日、エミール・ガレは白血病で死亡する。
以後、ガレの親族が会社を継承し、多くのガレブランドの製品を生産した。

 

 

 

 

 
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